私は高校生の時に保育園に職業体験に行ったりなど、子どもの世話や共に遊ぶことが苦ではない人間でした。
私の甥っ子が産まれてすぐに腸閉塞で亡くなった時に、命は当たり前に産まれてくるものでないことを実感しました。
私はいつしか子どもの成長に携わる仕事がしたいと思い、お金がなかったので独学で保育士試験の参考書や問題集を買って必死に勉強しました。
たまたま運よく、近所に無資格でも保育補助としてパートで雇ってくれる保育園が見つかり、勤めることになりました。
最初のうちはほとんど掃除でしたし、うまく動くこともできず、大変でしたが、毎日、子どもたちに癒されていました。
その年の秋に保育士試験に合格して、たまたま退職したパートの先生の代わりとして1歳クラスの補助をすることになりました。
翌年には2歳児の担任になり、現在は再び2歳児の担任をしています。
私が本当に保育士になろうと思い始めたのが、産まれてすぐに亡くなった甥っ子の死でした。
だからなのか、子どもが当たり前に生活している、変わり映えのない日常を尊く感じるのです。
当たり前に大きくなって、言葉が増えていく子どもたちを見て、心から喜ぶことができます。
たまにふと、こんな尊い仕事があるんだろうかとも思います。
私は子どもがいないので、プライベートでも「うちの子どもたちが可愛すぎる」とよく話してしまいます。
神社などで祈ることは「世界平和」か「子どもたちがすくすく元気に成長しますように。災いから守られますように」です。
私は自分のことを心がドライな人間だと思っていました。
愛することとは何なのか、親切にするとは何なのか、人とどういうふうに関わればいいのか、正直、わからなかったです。
ですが、保育士3年目になり、自分も30歳目前になり、愛することは無限にできることだと気づきました。私はそういうタイプで、愛することに限界がなさそうです。
こんなこと書いてて、ちょっと気持ち悪いなと思いつつも書きますね。
愛することって、見返りを求めないという感じで、両思いになれてからは、絆が生まれていきます。
小さい子どもだとしてもそうです。
最初は「お前誰だ?」と子どもに思われていても、毎日、楽しく過ごして、危ないことなど体を張って守ってくれる、いけないことをしたら真剣に叱ってくれるなど、一貫した行動をしていると、子どもも興味を守ってくれるのかもしれないと感じています。
私の人生にとって、保育士という仕事はなるべくしてなったように感じています。
御縁とは不思議なものですね。
私のことなので、急に方向転換して別の道に進むことも考えられるので、今の仕事をコツコツと頑張りつつ、子どもたちの成長をサポートしていくことができたらと思います。
先輩方にはプライベートも充実させて人生を楽しんでとありがたいアドバイスをいただいているので、プライベートも充実させていきたいと思っています。
私、人を褒めるのが好きなんですよ。でもお世辞が言えないから、思ったことをポーンと言ってしまうところがあります。
私の口癖は「かわいい!」です。
「かわいい」と1日に50回は言える保育園っていいですよ♥️♥️♥️😂
先生たちや親御さんとかわいいを共有するのも楽しいです。
みんな元気で過ごしてくれることを切に願っています。
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